・紀元前14000年前頃〜 【中国】長江文明は黄河文明が萌芽する遥か前より栄えていた。
・紀元前13000年前頃〜 【中国】長江文明で稲作が始まる。
・紀元前9000年頃 【イラク周辺】シュメール文明の始まり。シュメール人が移住して来て、農耕が始まった。
・紀元前8000年頃 - この頃、第4氷河期(最終氷期)が終わったとされる。※この頃シナイ半島は砂漠ではなかったかもしれない
・紀元前8000年頃 -農耕革命(農耕の開始)人類史上、重大な事件の1つとされる。この時期より主に磨製石器が使われたことから新石器革命(新石器時代)とも。
・同年頃 【シリア】ダマスカスは紀元前8000年から10000年もの昔から人が定住していた(人間が連続的に定住した世界最古の都市)。ダマスカスは、メソポタミアとエジプト、アラビア半島とアナトリアの東西南北を結ぶキャラバン貿易の拠点となり、周辺のオアシスでつくられた農作物の集散地として栄え続けた。
・同年頃 【エジプト】農耕が始まる。
・同年頃 【インド】北西インド、パンジャーブでの牧畜が確認される。インド・アーリア人となる。
・紀元前7000年頃〜 【イラク周辺】メソポタミア地方で、麦作と牧畜が始まる(イラクのジャルモ遺跡が有名)。
【中国】長江文明は黄河文明が萌芽する遥か前より栄えていた。稲作実施。
・紀元前4000年頃 【南東ヨーロッパ】ヴィンチャ文字(原文字)が単純な象徴として利用されていた(文字でないと主張する説もあり)。
・同年頃 【ガッガル・ハークラー川周辺(インドパキスタン周辺)】インダス文字が発明
※堀晄『古代インド文明の謎』インダス文字からラテン語やギリシア語が派生した
・紀元4500年頃 ★【イラク周辺】シュメール文明が世界最初の楔形文字を発明(メソポタミア文明の始まり)
発見された数学用具には、十進目盛が刻まれ、細かく精細な目盛りのついた正確な定規や、地平座標における角度を40度あるいは360度法で測るために用いられた貝のコンパス、天球を8ないし12分して計測するための貝製の計測器、航法のために星の位置を計測する計測器などがある。
古学的な証拠によれば、この文明は、8を基数とする記数法を使っており、円周率(π)の値を知っていたとの説がある
・紀元前4000年頃 【イラク周辺】世界初の帆走船が使われていた形跡がある。
・日本では紀元前4000年頃(縄文時代前期)の外洋での航海が可能な大型の丸木舟の出土例がある。
・紀元前3100年頃 【イラク周辺】南部でシュメール人の都市国家が発達。
・紀元前3000年頃 【イラク周辺】シュメール人は、複合的な測定システムを開発した
・紀元前3000年頃 【イラク周辺】世界最古の神話(『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話)。楔形文字で粘土板に書かれた。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなるような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。
・紀元前3000年頃 【イラク周辺】アッカドはアッカド地方(シュメールの北側)に定着し、シュメール文明を吸収して文明化した
・紀元前3000年頃 【パレスチナ】アジアとアフリカをつなぐルートの中心に位置するパレスチナには、紀元前3000年頃からカナン人が住んでおり、エジプト、メソポタミア、シリアの影響を受けて独自の宗教を成長させた。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教は、彼らの信仰の影響を受けている。紀元後六年、パレスチナはローマの属州となる。
・紀元前3000年頃 ヒトコブラクダが、家畜化された。
・紀元前3000年頃 【東南アジア】モンゴロイドがアウトリガー付きカヌーで帆走を始めて、東南アジアの島々に広がり始めた
・紀元前3000年頃 【イラク周辺】
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(1)原始仏教が、西アジアとりわけメソポタミアで起こった。
(2)密教も同じくメソピタミア起源であるが、原始仏教・密教はゼルヴァニズム、タターガティズムである。
(3)この原始仏教・密教が東西に伝播し、普及した。
(4)前6世紀末のペルシャのダリウス王の西アジア支配と、ゾロアスター教の国教化と仏教徒迫害によって東漸した仏教の一部はインドに定着し、今日信じられているインド仏教史ができあがった。
(5)インド仏教に関係がある重要な地名は西アジアに追跡できる。インドの地名は西アジアの反復である。民族の移動とともに地名も移動した。
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・紀元前3000〜2600年頃 【インド・パキスタン周辺】北インドおよびパキスタンに位置したインダス文明(ハラッパー文化)にある。ハラッパー文化は十進法を使った重量・距離の計量法を発達させ、驚くほど精密で数学的な比率の寸法をもったレンガを作っていた。
※パピルスでつくつた帆船、ナイル川の氾濫の後で畑を復元するための測量術(幾何学のもと)などが生み出された。
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※『古代インド文明の謎』堀晄説
インダス文明を担っていたのは遊牧民族アーリア人だった。建築・都市計画・度量衡・聖牛崇拝・牧農文化など多くの面における「連続性」がある(アーリア人の「インド侵入」は、通説よりずっと早く起こっていた)。アーリア人の大移動は、セム族(アフロ=アジア族)がアフリカからアジアへ侵入したことによって「玉突き的」に引き起こされ、北シリア地方からインド・ヨーロッパに広がった。通説のいう南部ロシア〜カフカス地方だったのではない。
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・★紀元前2900年 【エジプト】セソストリス王が、メソポタミアまでを、遠征していた。それが、シュメール人(バグダッド=バビロン周元)を征服して、セム人の王権を打ち立てた(人類最古の世界帝国)
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※鳥生守氏によるヘロドトスの『歴史』解釈
エジプト王(ファラオ)=によるアジア・ヨーロッパへの大遠征ついての記述
ヘロドトス(前485−425年頃)は『歴史』において、エジプト王による大遠征を書いている。エジプト王(ファラオ)のセソストリスは、有史以来、初めて艦隊を率いて紅海からアラビア海、ペルシア湾までの沿岸住民を征服したという。
彼はさらにその遠征からエジプトに帰還後、大軍を率いて大陸を北上し、その進路の民族をことごとく征服し、アジアばかりではなく、トラキア(エーゲ海北岸、黒海西南岸)、スキュティア(黒海西北岸)などのヨーロッパにまで達したという。また、エチオピアをも征服したという。
※副島隆彦説
セソストリス王の記述は、ヘロドトスの「歴史」中で、わずか、2ページだということ。このことが少し気になります。
それから、「船で紅海(こうかい)を渡った」とか、書いてあります。私は、当時の、紀元前3000ぐらいは、エジプトからメソポタミアまで、ずっと、森林(レバノン杉のような大木が生い茂る)もあったような沃野(よくや)が続いています。草原や農耕地にも部分的 (川のほとりとか)にははなっていて、そこをたどって、セソストリス王のエジプト人の軍団がメソポタミアまで、攻めて行って、征服したのだと、考えています。
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・紀元前3000~2000年 【中国】黄河中流の渓谷に都市文明誕生。
・紀元前2500年頃以降 【イラク周辺】シュメール人は粘土板に乗算表を書き、幾何学の学習と除算問題に利用した。
・紀元前2334年頃 - 2154年頃 【イラク】サルゴン1世がメソポタミア南部を支配し、アッカド王国を成立。
・紀元前2300年 - 1800年 【インド・パキスタン周辺】ヒンドゥー教があった??インダス文明のハラッパーから出土した印章には、現代のシヴァ神崇拝につながる結跏趺坐した行者の絵や、シヴァ神に豊穣を願うリンガ崇拝につながる直立した男性性器を示す絵が見られる。
・〜紀元前2000年頃 【イラク周辺】太陽太陰暦を採用。
・紀元前2000年頃 【メキシコ】マヤ地域でマヤ文字(一種の象形文字)が利用された。
・紀元前1900年頃 【イラク周辺】セム人系のアムル人が巨大都市バビロンを都として古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を始めた。
・紀元前1700年頃 【イラク周辺】古バビロニア王国、第6代のハンムラビ王(紀元前1729年-紀元前1686年)が30年間にわたる戦争の後にメソポタミアを征服した。ハンムラビ法典(ハムラビ法典。「目には目を、歯には歯を」の復讐法が有名)は彼によって作られた。「ハンムラビ法典」は中東における法の原型。
・紀元前1800〜1600年 【イラク周辺】分数、代数、二次および三次方程式、およびピタゴラス数の概念が扱われている。円周率の値として、実際的な計算のためにはしばしば 3 が用いられていた[15]が、22/7 などのより精確な近似値も知られていた。バビロニア数学は、六十進法(60を底とする)の位取り記数法を記述していた。ここから、現在1分が60秒、1時間が60分、および円が360度(60×6)の用法が由来している。60には多くの約数があるという事実により、バビロニア数学の進歩が促進された。
・紀元前1680年頃 【エジプト】ヒッタイト人はクズルウルマック("赤い河"の意)周辺に王国を建国し、後にメソポタミアなどを征服した。他国に青銅を輸出或いは輸入していた。
・紀元前1600年頃〜前221年 【中国】封建制度の採用。
・紀元前1600年頃 【中国】漢字 (殷王朝初期) が発明。
・紀元前1530年頃 【イラク周辺】古バビロニア王国が滅ぼされた。
・紀元前1400年頃 - 紀元前1050年頃 【ギリシャ】原カナン文字が利用(フェニキア文字の前身。アルファベットの原型)。
・紀元前1300年頃 【インド・パキスタン祝言】アーリア人が、バラモン教の一部としてヴァルナの枠組をつくった(カースト制度の前身)。
・紀元前1200年頃 【レバノン周辺】都市チュロスを中心として、海洋都市国家として栄えたフェニキア人によるイベリア半島の植民は、紀元前一二〇〇年頃から南部の港湾都市カディスを中心に始まり、マラガ、バレンシアへと広がった。
・紀元前1050年頃 ★【シリア】フェニキア人がフェニキア文字(アラム文字・ヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字など、ヨーロッパ・西アジアの多くの言語で用いられる起源)を開発した。海上交易を主流とした優れた商人で、貝紫とレバノンスギがフェニキア本土の特産品。
・紀元前1000年 - 前600年頃 ★【イラク】ユダ王国が建国。サウルが初代王。
※おそらくシリアの属国だった(副島隆彦説)。
・紀元前1004年 【イラク】ダビデは、十二部族の内、南部のユダ、ベニヤミンの二部族から推戴され、ユダの家の王になった。
紀元前1000年頃 中国東北部から江南地域にかけて住んでいた新石器時代人の一部が、縄文時代の終わり頃、朝鮮半島経由で西日本に渡来し、先住の縄文時代人と一部混血しながら、広く日本列島に拡散して弥生時代以降の本土日本人の祖先となった。
・紀元前 900年代 【北アフリカ】カルタゴ(Carthage、フェニキア語で「新しい都市」という意味)は、前九世紀に成立した北アフリカ(現チュニス)に位置するフェニキア人の都市国家。
・紀元前997年 【イラク】ダビデは、北部の十部族からイスラエルの王権も委ねられ、全イスラエルの王となった。
・紀元前967年 【イスラエル】統一イスラエル王国の第3代国王としてソロモン王(在位紀元前967年〜紀元前928年)が即位した。ソロモン王は、ダビデ王の繁栄をいっそう確かなものとし、タルシス船で世界貿易をおこない小国としては比類無い繁栄を享受することとなる。
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『科学』(岩波書店、2010年4月号)より
1.アフリカで形成された人類集団の一部が、5 - 6万年前までには東南アジアに渡来し、その地の後期更新世人類となった。
2 - 3.東南アジア後期更新世人類の一部はアジア大陸を北上し、また別の一部は東進してオーストラリア先住民などの祖先になった(典型性確率を使った頭蓋計測値の分析で、オーストラリア東南部出土の人骨化石であるキーロー[42]などに似た後期更新世人も、縄文時代人の祖先候補とすべきであることが指摘された)。