予想通りというか、案の定というか、陸山会事件に関する小沢一郎元代表の無罪判決から一夜明けて、新聞主要各紙が「社説」にて異口同音に"負け惜しみ"の大合唱である。
「刑事責任は免れても政治的責任は免れない」
「説明責任を果たすべし」
「結論はシロだが、実際はクロ(灰色)」
どれもこれも論理的説明になっておらず、ただの感情論的主張であり、この期に及んで"言い掛かり"も甚だしい内容と断じてよいであろう。
昨日のエントリーにて主要新聞各紙は、明らかな"デッチアゲ裁判劇"にも拘らずこれを長きに渡って"追認"し、散々"喧伝"してきたことを深謝して然るべき旨コメントをしたが、主要各紙は己自身の言動を省みることもなく、一様に"開き直り"同然の有様であるが、これぞまさに「負け犬の遠吠え」以外の何ものでもない話である。
同問題については、昨日のエントリーにて述べたとおりであるので、今回はこれ以上は何も言わないが、以下に転載した主要各紙の間抜けな「社説」は永久保存版であろう。
まだ主要紙の購読をされている方は、集金人に対してこのトンでもない「社説」文書を突きつけると共に、1日も早く「契約解除」を通告すべきであろう。
何気(なにげ)ない新聞購読が、結果としてこれら腐れ主要新聞社を生き長らえさせているということを、今こそよくよく考えるべきであろう。
(転載終了)
◆朝日新聞「社説」
2012年4月27日(金)付
小沢氏無罪判決―政治的けじめ、どうつける 民主党の元代表・小沢一郎被告に無罪が言い渡された。
これを受けて、小沢氏が政治の表舞台での復権をめざすのは間違いない。民主党内には待ちかねたように歓迎論が広がる。
だが、こんな動きを認めることはできない。
刑事裁判は起訴内容について、法と証拠に基づいて判断するものだ。そこで問われる責任と、政治家として負うべき責任とはおのずと違う。政治的けじめはついていない。
きのう裁かれたのは、私たちが指摘してきた「小沢問題」のほんの一部でしかない。
□「うそ」は認定された
私たちは強制起訴の前から、つまり今回の刑事責任の有無にかかわらず、小沢氏に政界引退や議員辞職を求めてきた。
「数は力」の強引な政治手法や、選挙至上主義の露骨な利益誘導などが、政権交代で期待された「新しい政治」と相いれない古い体質だったことを憂えればこそだった。
3人の秘書が有罪判決を受けたのに国会での説明を拒む態度も、「古い政治」そのものだ。
そして本人への判決が出たいま、その感はいよいよ深い。