「現代社会における戦闘服」をコンセプトに掲げ、仕事や生活、恋愛など現代における女性たちの「戦い」を手助けする服作りを目指すファッションブランドmame。デビューから2シーズン続けて、「面」をテーマにしたコレクションを発表し、多くのジャーナリストやバイヤーなどから注目を集め、3シーズン目となる今回(2012年春夏)は一転、『雑誌』をテーマにした軽やかなコレクションを提示した。早くも次なるステップを予感させる同ブランドのデザイナー、黒河内真衣子を取材した。
Text:原田優輝
ファッションデザイナーを志したのはいつ頃ですか?
幼稚園の頃からこの仕事につきたいと思っていました。お姫様の絵を描く時に、ドレスはもっとこういうものがカワイイなということを考えているうちに、自然と洋服のデザインをしたいと思うようになりました。中学になると、手芸屋さんで生地を買ってギャザースカートを作ったりもするようになりました。長野の田舎育ちで、情報もそんなになかったので、自分の想像だけでイカのようなドレスとか変なデザインをたくさん考えて、高校が卒業するくらいまではそういうデザイン画を描きためていて(笑)。どうすればデザイナーになれるのかということもよくわからなかったので、とりあえずデザインだけは考えておこうと思ったんですね。その頃のデザイン画はまだ取ってあって、いま見返すと笑ってしまうのですが、落ち込ん� �時なんかに見たりしています。
学生時代に影響を受けたファッションデザイナーはいましたか?
私が高校生くらいの頃は、裏原系のブランドや東京のコレクションブランドが元気で、そういうブランドがあることは知っていたし、自分で着ることもありましたが、ちょっと遠い話の気がして、そこから自分がダイレクトに影響を受けるということはありませんでした。ただ、中学生の時に長野の地方新聞の社会面に、イッセイミヤケのコレクションの写真が載っていて、それは、後のA-POCにつながるシリーズの服だったのですが、生地が重なった赤いドレスの中に何十人ものモデルが入っているフィナーレの写真を見た時に、「何だこれは!」と驚いたことを覚えています。そのイメージだけはずっと残っていて、後に自分がイッセイミヤケに入ったというのは不思議なつながりがあって面白いなと。
文化服装学院卒業後、イッセイミヤケ(三宅デザイン事務所)に就職しようと思った理由は?
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